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東京高等裁判所 昭和35年(を)1号 判決 1960年3月16日

控訴人 原審検察官 田辺緑朗

被告人 上野昭三こと上野勇

検察官 子原一夫

主文

本件を水戸地方裁判所竜ケ崎支部に差し戻す。

理由

本件公訴事実は公判請求書には司法警察官意見書記載の犯罪事実が引用され同意見書の記載によれば「被告人は(一)小林利次と共謀の上昭和二二年七月五日午前一時頃茨城県稲敷郡牛久村下町一三番地履物商森甚之助方より中古自転車一台外一六点合計七四八四円相当を窃取し(二)さらに右同様同日午前二時二〇分頃同県同郡同村下町六九番地市村孝方より国防色ズボン外九点合計五八〇〇円相当を窃取したものである」というのであつて、右起訴状には罪名は窃盗、被告人氏名は上野昭三と記載されている。ところで右起訴前に作成され原裁判所に提出された関係書類によれば、上原幸夫(自称本籍茨城県多賀郡多賀町大字大岩九四番地、住所東京都浅草六区富士見町四番地、無職当二一年)なるものが昭和二二年七月五日取手警察署巡査中島騰及び同富永忠治郎に不審尋問を受け賍品を所持するものと認められて取手警察署に同行され、即日同警察署警部補の請求により水戸地方裁判所土浦支部判事の発した逮捕状によつて逮捕されたのであるが、同日同署に引致されると直ぐ犯罪事実の大要と弁護人を選任することができる旨を告げられた調書には氏名を上野昭三と自署押印したのである。しかして同日同署において司法警察官警視代理巡査部長室伏彦四郎より被疑者尋問を受けたが、氏名は上野昭三偽名上原幸夫、年令は当二一年職業は川崎市日本鋼管株式会社自動車運転助手、住所は同市東渡田四丁目同会社寄宿舎第一寮一二号室、本籍は茨城県真壁町大字上宿番地不詳、出生地は本籍地に同じである旨供述し、前示意見書記載の犯罪事実のごとく小林利次なるものと共謀して二回に窃盗に及んだことを自供し署名押印したのであるが、さらに同年七月七日水戸地方検察庁竜ケ崎支部において検事多田正一から尋問を受けた際にも氏名年令職業及び住居については右同様に供述し、被疑事実についても自供して署名押印をしているのである。してみると検事が本件公訴提起に際して被告人として指定したのは右検事の尋問に際して上野昭三と名乗る被疑者であつて、よしや同人が上原幸夫なる偽名を使つたことがあるとしても、当時は上野昭三としての本籍や身元調査の結果が判明していなかつたことでもあるので、これもまた偽名であるとはにわかに断定しがたく、その真実の氏名の判明しないことが客観的に明白ではなかつたのであるから、右は旧刑事訴訟法第二九一条第二項後段にいう「氏名の知れない時」であるとして「容貌、体格その他の徴表をもつて被告人の指定をすべき」場合には該当しないというべきである。従つて検事が公判請求書に被告人氏名として上野昭三とのみ記載したことを目して旧刑事訴訟法第二九一条に違背するものとはいわれず。このことの故に本件公訴提起手続が右規定に違反したため無効となるわけのものではない。しかるところ、本件記録にあらわれた関係証拠及び被告人の当審における供述によつて明らかなごとく検事が本件被告人と指定して公訴を提起した自称上野昭三なる者(原判決が甲被告人と略称する者)は公判請求と同時に令状を請求されたが、勾留訊問前に逃走し、昭和二七年三月二五日にいたつて上野昭三(茨城県真壁郡真壁町大字亀熊一、二一五番地住居東京都世田谷区弦巻町一丁目二二六番地昭和三年四月一八日生)なるものが原裁判所の本件公判廷に被告人として出頭して審理を受け以後同年一〇月二九日にいたるまで前後六回にわたる公判廷における審理の結果同人が起訴せられた甲被告人とはまつたく人違であることが明らかとなつたので「上野昭三なる乙被告人」として公訴棄却の判決を受けたものであつて、甲被告人はついに原審公判の審理を受けるところがなかつたまま現在に及んでいるのであるが、その後の調査の結果同人のいう上野昭三もやはり偽名であつて本名は上野勇(亡上野常四郎二男大正一五年三月三〇日生)で本籍は茨城県真壁郡真壁町大字亀熊二一五番地であることが判明した次第である。しからば本件被告人上野昭三こと上野勇(原判決のいわゆる甲被告人)は昭和二二年七月七日原裁判所に適法に公訴を提起されたままなんら第一審公判手続による審理を受けることなく現在に及んでいるものであるが故に、同人に対して旧刑事訴訟法第三六四条第六号を適用して公訴を棄却した原判決の措置は不法というの外はないものである。よつて旧刑事訴訟法第四〇二条刑事訴訟法施行法第二条に則り本件を第一審裁判所たる水戸地方裁判所竜ケ崎支部に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 尾後貫荘太郎 判事 堀真道 判事 西村康長)

検事子原一夫の控訴趣意

原審は、検事が昭和二十二年七月七日付公判請求書を以て公訴を提起した被告人上野昭三、即ち原判決のいわゆる甲被告人に対する窃盗被告本件につき、同被告人が起訴後一回も公判に出頭しなかつたにかかわらず、同三十四年十二月二十八日、右公判請求書には被告人を第三者と具体的に区別するに足りる何等の徴表の記載なく、結局被告人が特定されていないので本件公訴の提起は違法且つ無効であり、「公訴提起ノ手続其ノ規定ニ違反シタル為無効ナルトキ」に該当するから、旧刑事訴訟法第三百六十四条第六号に則り、公訴を棄却するとの判決を言い渡したのであるが、原審の訴訟手続には第一に、同被告人の公判期日への出頭がないのに不法に公判を開廷して公訴棄却の判決を言渡した点において、被告人不出頭の場合の公判開廷禁止の規定に違背して不法に公訴を棄却した違法があり、第二に、被告人の指定が十分であるのにこれが特定されていないとして不法に公訴を棄却した違法があるといわねばならない。

第一点被告人不出頭の場合の公判開廷禁止規定に違背して不法に公訴を棄却した違法について

そもそも旧刑事訴訟法第三百三十条は「被告人公判期日ニ出頭セサルトキハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外開廷スルコトラ得ス」と規定して、被告人の防禦権の保障及び実体的真実発見の見地から、いわゆる「闕席判決の制度」を採用しなかつた。然して右別段の定めのある場合は、(1)  同法第三百三十一条及び同法第三百六十七条所定の、罰金以下の刑に該る事件又は罰金以下の刑に処すべきものと認める事件の場合、(2)  同法第三百五十二条所定の、心神喪失の状態に在る被告人に対して無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべき事由が明白な場合、(3)  同法第三百六十八条所定の弁論終結後の判決宣告の場合。に限定されており、しかも前記同法第三百三十条の規定は単なる訓示規定ではなく強行規定であり、前掲(1) 乃至(3) 以外の場合には、被告人の出頭が公判開廷の絶対的な必要条件とされていたのである。本件被告人の場合は窃盗被告事件として起訴せられたものであり、その他前記別段の規定ある場合のいずれにも該当しないことが明らかであるので、原審としてはこの被告人が出頭しなければ公判を開廷することができず、従つて審理をすることも、弁論を終結することも判決の言渡をすることもすべてできなかつた筈である。ところで、原審一件記録に徴すると、昭和二十七年三月二十五日(第一回)、同年五月六日(第二回)、同年九月三十日(第三回)、同三十四年九月十日(第四回)、同年十月十五日(第五回)、同年十月二十九日(第六回)、同年十二月二十八日(第七回)、判決宣告の各公判期日において、公判請求書記載の被告人と同姓同名の上野昭三なる者が一応出頭している事実が認められるのであるが、この出頭した上野昭三、即ち原判決のいわゆる乙被告人に対しては、原審における論告補正書において詳述した如く、検事は公訴を提起していなかつたものであり、即ち右出頭した上野昭三は唯単に誤つて本件の被告人として原審に召喚され、被告人としての取扱を受けたに過ぎなかつたのである。而してこの出頭した上野昭三は、原判決も認めている如く、検事が公訴を提起した公判請求書記載の被告人、即ち原判決のいわゆる甲被告人(以下甲被告人と呼ぶ)とは、指紋照合による鑑定等の結果に照らし全くの別人であることが明らかであるから、結局公判請求書記載の起訴された甲被告人は、一回も原審の公判期日に出頭していなかつたことが明白であり、仮りに原審が当初において右出頭した上野昭三を、検事が起訴した甲被告人と誤信していたとしても、甲被告人不出頭の事実に何等の消長を及ぼすべきいわれはない。かくて被告人が出頭しなくても公判を開廷して審判し得る場合に該当しない本件において、原審が甲被告人不出頭のまま漫然不法に公判を開廷し、甲被告人に対する公訴棄却の判決を言渡したのは、明らかに違法であつて、旧刑事訴訟法第四百二条に則り、本件を原裁判所に差戻すべきものと思料する。

第二点公判請求書における被告人の指定が不特定であるとして不法に公訴を棄却した違法について

原判決は、検事が昭和二十二年七月七日付公判請求書を以て公訴を提起した被告人上野昭三、即ち甲被告人に対する窃盗被告事件につき、右公判請求書は被告人を第三者と具体的に区別して特定するに足りる何らの徴表をも記載していないので、結局被告人の特定がないことに帰するとして、旧刑事訴訟法第三百六十四条第六号を適用して右公訴を棄却しているのであるが、検事が本件に於て公訴を提起した被告人は後述する如く十分特定されていたのであるから、原判決は全く不法に公訴を棄却したものというべきである。

一、そもそも公訴の提起は、一定の者に対し一定の犯罪事実について裁判所の審判を請求する重大な意思表示であるので、旧刑事訴訟法第二百九十条及び第二百九十一条は、公訴の提起を厳格な要式行為として規定し、而して第二百九十一条第一項は「公訴ヲ提起スルニハ被告人ヲ指定シ、犯罪事実及罪名ヲ示スヘシ」と規定し、同条第二項は「被告人ノ指定ハ氏名ヲ以テシ、氏名知レサルトキハ容貌、体格其ノ他ノ徴表ヲ以テスヘシ」と規定しているので、公判請求書自体に被告人の指定を全然欠除している場合には、たとえ一件記録その他の資料によつて被告人を特定し得る場合であつても、さような公訴提起は不適法且つ無効であるというよりも、むしろ公訴提起行為自体が不成立であつて、裁判所はこれに対し公訴棄却の裁判をすることさえ不必要であつて、何等の裁判をすることなく放置すれば足りると解すべきであるが、いやしくも公判請求書に被告人を特定するための氏名等が記載されている場合に、適法且つ有効な被告人の指定があるといい得るためには、如何なる条件が必要であろうか。これを訴訟実務上の慣行に即して考察するに、自然人たる被告人の指定はその本籍、住所、氏名及び年令を表示して行つており(尚刑事訴訟規則第百六十四条参照)、これによつて被告人は十分に特定され得るが、問題となるのは、被告人の過誤乃至不知、詐称、黙祕等のため、一応の捜査を行つても被告人の真実の本籍、住所、氏名、年令が十分に判明せず、そのため公判請求書に記載されたこれらの事項について過誤乃至不備が存する場合である。思うに、これらの事項は要するに被告人を第三者と区別して特定するためにその表示を必要とされるものであるので、いやしくもそれらの記載に基いて被告人を特定し得る限り、たとえその記載に過誤乃至不備があつても、適法且つ有効な被告人の指定があつたと解すべきであり、しかもその場合、被告人の特定は必ずしも公判請求書の記載だけによつて可能であることを必要とせず、公判請求書の記載と一件記録その他の資料と相俟つて被告人を特定し得る場合であつても差し支えないと解すべきであり、現に判例も、(1)  昭和二十四年十月十三日福岡高等裁判所判決は、旧刑事訴訟法事件につき、公判請求書に被告人の氏名が誤記されていても、その同一性の確定に支障がないことが明白であるときは、起訴は有効であるとし(高等裁判所刑事判決特報第一号二五二頁)、(2)  昭和二十五年三月三十一日名古屋高等裁判所判決は、新刑事訴訟法事件につき、起訴状に記載すべき被告人の氏名は、必ずしもその固有の氏名に限られるものではなく、当該被告人を特定するに足りるものであれば差し支えないとし(前同特報第七号一三頁)、(3)  昭和二十五年四月二十一日福岡高等裁判所宮崎支部判決も、新刑事訴訟法事件につき、起訴状に記載された被告人の氏名、住居、本籍が捜査の結果後日になつて虚偽であることが判明した場合には、被告人その者の同一性に支障のない限り、右事項は訴訟手続の如何なる段階においても訂正すれば足りるとし(前同特報第一四号一六五頁)ている。もとより被告人の特定は公訴提起についての重要な要件の一つであるので、捜査官は被告人が何者であるかについても十分な捜査を遂げ、真実に即した氏名等をもつて被告人の指定をすべきことはいうまでもないが、飜つて捜査の実情について考察すると、被告人は捜査の段階においても、更に又公判の段階においても、或は氏名等を黙秘し、或はこれを詐称したりして真実と合致しないことを述べる事例がすくなくないが、かような場合にその真実の氏名等を明らかにすることは決して容易ではなく特に旧刑事訴訟法第百二十九条の二十四時間以内、或は同法第二百五十五条の強制処分の場合であつても十日以内と云うようなまことに短期間内に、被告人の身元を明確にすることが困難な場合もあり、検事としてはかような場合、被告人がその点について真実に相違することを述べたとしても、一応の捜査によつてその供述の誤りを発見し得ない以上、結局その供述に頼らざるを得ないのが実情である。本件の場合においても、もし被告人が当初から氏名を一切語ろうとせず黙秘していたならば、検事はもちろん公判請求書に被告人の容貌、体格等を記載する外、その写真を添付し、或は更にその指紋番号等を記載して、十分な特定の方法を講じたであろうが、被告人は当初司法警察吏に逮捕された当時は上原幸夫と詐称していたが、その後捜査を進めた結果、真実は上野昭三であると述懐して前言を改めるに至つたものであるから、当時の起訴検事がこれを一応措信し、公判請求書に被告人を上野昭三と記載して公訴を提起したとしても、蓋し無理からぬことであつたといわねばならない。而してかように被告人がその氏名を一応上野昭三と称していた本件において、なお且つ更に容貌、体格その他の徴表までも敢えて公判請求書に附加して記載することが、果して原判決が云う如く旧刑事訴訟法上要請されていたであろうか。前掲同法第二百九十一条第二項にいわゆる「氏名知レサルトキ」とは、被告人が氏名を黙して一切語らないため、一応の捜査を行つてもその何者であるかが全然判明しない場合とか、或は一応捜査したにかかわらず、被告人の自称している氏名が虚偽であることは明らかになつたが、真実の氏名は全く不明である場合を指すと解せざるを得ないのである。それ故被告人が氏名を供述し、一応の捜査によつてそれが真実と認められる場合においては、その氏名を公判請求書に記載するだけで被告人の特定方法としては足りるものと解され、もし後日その氏名が虚偽であることが判明した場合には、被告人の同一性を明らかにし追完すれば足りるものと解する。更に又旧刑事訴訟法のもとにおいては、公判請求書には一切の捜査記録が添付されて裁判所に提出されていたのであり、従つて裁判所はこれに基いて一応その事件の概要を知つた上で、換言すれば、いわゆる訴訟の実体形成も捜査機関からそのまま引き継いで、公判廷に臨んでいたのである。而して本件公判請求書をこれと一緒に原裁判所に提出された一件記録と併せ考察すれば、本件に於て検事が公訴を提起した被告人は、

本籍 茨城県真壁郡真壁町大字上宿番地不詳

住居 神奈川県川崎市東渡田四丁目九十四番地

日本鋼管寄宿舎第一寮第十二号室

職業 運転助手

家族関係 戸主上野彦太郎の次男

氏名 上原幸夫こと上野昭三

年令 当時二十一年

であることが明らかであつて、かように本籍、住居、職業、家族関係、氏名、年令に至るまで十分特定されており、なお容貌、体格についても「身長五尺二寸、黒ジヤンバー、茶ズボン黒沓覆キタル年令二十三才位ノ頭髪長サ三分ニ分ケタル青年」であることが、一件記録中の司法警察吏巡査富長忠治郎、同中島騰両名作成の捜査報告書(記録四丁)の記載により十分認められるのみならず、更に検事の起訴した被告人は、原審一件記録中の上野昭三の請書(記録十一丁)及び差出書(記録十四丁)並びに上野昭三に対する司法警察官警視代理巡査部長室伏彦四郎及び検事多田正一の各訊問調書(記録二十六丁、三十一丁)の末尾に夫々上野昭三と自署して指印を押した人物であることは自明の理であつてこれらを綜合すれば被告人の特定は十分と言い得べくこのことは原審も当然これを知り得た筈なのである。

二、もつとも真犯人が実在する第三者の氏名を詐称し、捜査官もそれを誤信して、その第三者の氏名を被告人と指定して公訴を提起した場合に、被告人となる者は右真犯人か、それとも右第三者であるかについては問題があり、いわゆる意思説によれば真犯人が被告人とされるのに対し、表示説によれば被告人として指定された第三者が被告人となるとされるが、表示説によつても、右第三者が被告人となり得るためには、起訴状に記載された被告人の氏名、年令、本籍、住所等が第三者のそれと全く同一であるか、又はすくなくとも酷似していて、被告人として起訴状に指定された者が第三者であることを、起訴状における被告人の表示自体から明認し得る場合に限るものと考えられ、しかも真犯人がいわゆる身柄付のまま起訴手続全体を通じて明らかな場合には、たとえ起訴状に被告人の表示として完全に第三者の本籍、住所、氏名、年令等を記載してあつても、被告人となる者は第三者ではなくて真犯人であると解すべきことは、表示説においても承認されているところである。ところで原判決は、本件公訴提起において被告人が特定的に指定されていないとする一つの理由として、本件に関して原審裁判所に出頭した上野昭三、即ち原判決のいわゆる乙被告人(以下乙被告人と呼ぶ)を考慮に入れ、本件公判請求書を以て公訴を提起した甲被告人はこれと類似しているとして、結局第三者と区別ができないとの判断を下しているように推測されるが、検事が公訴を提起した甲被告人と、出頭した乙被告人とは成程同姓同名ではあるが、原審第一回公判調書記載の通り右出頭した乙被告人は、第一に住居が「東京都世田ケ谷区弦巻町一丁目二六六番地」と相違していることはもとより、第二に本籍も異なり、「真壁郡真壁町大字亀熊一二一五番地」であり、第三に家族関係も異なり、甲被告人が戸主彦太郎の次男となつているのに対し、戸主常広の三男である。第四に職業も異り、甲被告人の運転助手に対し、養豚業である。次に第五に最も重要な要素である年令においても相当な違いがある。即ち検事が公訴を提起した甲被告人は犯行並に起訴当時二十一才であつたのに対し、出頭した乙被告人は昭和三年四月十八日生で、出廷当時二十三才、本件犯行並に起訴当時の昭和二十二年七月にさかのぼれば、僅かに十九才の少年であつたことになるという事実である。かように出頭した乙被告人は、検事が指定した甲被告人とは本籍、住居、家族関係、職業、年令も異つている外、更に両者の指紋も異つていて、両者は全然別人であることが明白であることは、原審における論告補正書にも詳述した通りであり、然らば検事が公訴を提起した被告人は、この出頭した上野昭三と比較対照しても明らかに十分区別するに足りる程特定がなされていたというべきであり、右出頭した上野昭三以外の第三者とは更に一層峻別するに足りる程度に具体的に十分な特定がなされていたといわねばならない。更に加うるに、検事は本件の被告人を「身柄拘束」の侭起訴しているのである。即ち検事が公訴を提起した被告人は、当時逮捕されていた上野昭三と称する男であつたという厳として動かす事のできない事実が存在するのであつて、このことは判事多賀谷恵司発付の逮捕状(記録六丁)その他原審一件記録に徴し、まことに明らかである。

三、かように、家件につき検事が公訴を提起した被告人は十分特定していたのであるから、本件起訴は当然適法且つ有効であり、本件公訴提起の手続には違法の廉は毫も存在しないのである。然らば被告人が特定されていないとして、公訴の提起が違法且つ無効であるとし、漫然公訴棄却を言い渡した原判決は明らかに違法であり、当然旧刑事訴訟法第四百二条に則り本件を原裁判所に差戻すべきものと思料する。

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